鼻唄クラシック


ラヴェルの最高傑作は

 モーリス・ラヴェルという作曲家がいる。「ボレロ」という曲で有名だ。この曲は一定のリズムとメロディの繰り返しでできている。ラヴェルのすごいところは、最初は最弱音ではじめて、次の繰り返しからは少しずつ音を強め楽器を加え、最後は大音響で盛り上げておいて、コーダですとんと落とすところにある。こんな芸当ができるのは彼だけではないか。「オーケストレイションの魔術師」といわれる所以である。
 ただ、ぼくが不満なのは、この「ボレロ」が彼の代表作として知られていて、他の曲があまりポピュラーでないことなのだ。
 「ボレロ」が傑作であることは確かだ。凡庸な作曲家では単純な繰り返しの曲をここまで劇的に仕上げることは不可能だっただろう。しかし、ラヴェルはこんな曲ばかり書いていたわけではないのだ。
 「逝ける女王のためのパヴァーヌ」という曲を聴いてもらいたい。美しいメロディと寂寥感は聴くものの心を打たずにはおかれない。ピアノ独奏版と管弦楽版の二種があるが、どちらもすばらしい。ピアノの音色、そしてオーケストラの響きの長所をどちらの版も見事に引き出している。オーケストラ用に編曲されたものは、たいていは原曲のピアノ版を聴くと意外に平板で食い足りないものなのだが、ラヴェルはちがうのだ。
 「ラ・ヴァルス」はフランス人である彼がウィンナ・ワルツを意識して書いた曲。その華やかさ、躍動感は本場ウィーンのワルツにはない独自の音楽である。
 いちいち挙げていくときりがない。そこで、ぼくがラヴェルの最高傑作と考えている曲は何か、決定版を一つ挙げてみたい。
 それは、「展覧会の絵」である。
 その曲はムソルグスキーの作曲ではないかという声が聞こえてくる。そのとおりである。ただし、ムソルグスキーはピアノ独奏曲として作曲したのであり、われわれがしょっちゅう耳にする管弦楽版は、ラヴェルの編曲によるものなのだ。
 ピアノの原曲は、どこか土臭い、野暮ったい曲である。ただしホロヴィッツが弾くとものすごく華やかになるけれども。しかし、ラヴェルはこの曲を完全に自分の曲にしてしまった。一枚ずつの絵を表現した各々の曲はもちろんのこと、一つ一つの曲をつなぐ「プロムナード」の部分は一回ごとに微妙に表現を変え、展覧会を見る人の気持ちの動きをよく示している。
 他の何人かの音楽家がやはり「展覧会の絵」を管弦楽曲に編曲した。例えば、レオポルド・ストコフスキーもその一人。ディズニー映画「ファンタジア」の音楽を担当し、自らも出演したこの指揮者は、J・S・バッハのオルガン曲を管弦楽用に編曲し直すなど、いろいろな曲に手を加え、華麗な音楽を生みだした。しかし、音楽の名演出家ストコフスキーをもってしても、ラヴェルの天才にはかなわない、というより、天才を引き立たせる役回りを演じてしまうことになった。
 原曲があるために、ラヴェル本来の魅力を聴かせてくれるわけではないかもしれない。しかし、ムソルグスキーの音楽を見事に自分の音楽に作り変えてしまったこの曲こそ、ラヴェルの天才を示す最高傑作ではないかと、最近思うようになってきたのだ。
 まあ、異論は当然あるだろうが、こういう楽しみ方もあるということで、ご容赦願いたい。
 少なくとも、「ボレロ」よりはずっとラヴェルの音楽の本質を表わしているように思うのだが。

(1997年10月16日記)


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