鼻唄クラシック


マルタ・アルゲリッチを聴く


 5月30日(土)、大阪のザ・シンフォニーホールにて「マルタ・アルゲリッチ&アレクサンドル・ラビノヴィチ 協奏曲の夕べ」と題されたコンサートがあった。
 アルゲリッチといえば泣く子も黙る大ピアニスト。ラビノヴィチはアルゲリッチが自分の連弾のパートナーとしてここ10年ほどコンビを組んでいる作曲も指揮もする才人ピアニスト。これに臨時編成と思われる「ストリング・オーケストラ響(ひびき)」が加わる。

 プログラムはまずモーツァルトのピアノ協奏曲第19番ヘ長調K.459。これはピアノも指揮もラビノヴィチ。
 ラビノヴィチはピアノの脇に温風機だか乾燥機だか知らないけれど風の出る機械をおいて指先をしょっちゅう風の出る口にあてている。神経質そうなピアニストである。演奏の方はといえば、確かにうまい。ピアノのタッチにキレもある。でも、どこかしっくりこない。モーツァルトの音楽と心から共感しているようには思えない。カデンツァは自作だろうか。モーツァルトの音楽から浮いているような感じがする。いっしょに聴いていた私の高校時代の先輩は、「ピアノはグールド+ハイドシェック÷2、指揮はアーノンクール+ブリュッヘン÷2やな」といったが、確かにそうかも。才人が才をひけらかすたぐいの演奏である。モーツァルト向きのピアニストとは思えない。

 続いてはラビノヴィチ自身の作曲した「ピアノ、チェレスタ、弦楽アンサンブル、ヴィブラフォン、マリンバ、エレキギターのためのアンカンタシオン(呪文)」。ラビノヴィチの指揮で、ピアノとチェレスタはアルゲリッチが受け持つ。
 この曲は単調な動機を波が引いたり寄せたりするようにクレシェンド、デクレシェンドを繰り返し、その度に主旋律を弾く楽器が交代するというような曲。最初は面白いかなと思ったが、メリハリに欠けしかも長い。いささか退屈。テンポを細かく刻むのでいまはやりのヒーリング・ミュージックというものにもならない。だいたい何のためにエレキギターを入れているのかがよくわからない。これも才人が才をひけらかすたぐいのものか。

 本日のメインはベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19。ピアノはもちろんアルゲリッチ。指揮は予告ではアルゲリッチ自身の弾き振りということであったが、ピアノに専念したいとしてラビノヴィチが指揮台に立つ。
 アルゲリッチはこの曲が好きなようで、これまでに自身の弾き振りとシノーポリ指揮の2種類の録音を残している。有名な第5番”皇帝”の録音がないだけに、この第2番を2回も録音し、なおかつこうやってコンサートの曲目にいれているというのはよほど気にいっているにちがいない。
 アルゲリッチの演奏は、大きな構えで情熱的に弾くという彼女のスタイルがよく出たものだ。ところどころおちゃめな感じの演奏をする。そこらへんの自在さもアルゲリッチならでは。とはいえ、アルゲリッチを十分堪能できても、それ以上ではない。なぜだかわからないが、あふれかえるほどの情熱をラビノヴィチの指揮に合わせて抑えていたのかもしれない。
 アンコールで終楽章をもう一度弾く。こちらは興が乗ったかハイテンションで音楽が洪水のように降りかかってくるような演奏。アンコールということで情熱を抑えつけるのをやめたのか。本番より凄みのある演奏だった。
 アンコールは二人の連弾。ラヴェルの「マ・メール・ロワ」より一曲。これがよかった。ラヴェルの精緻さと狂気を二人で分けて受け持っているのか。うまいし、面白い。

 最後の最後、アンコールでもとをとった感じのコンサートであったが、アルゲリッチがあまり大阪に来ないだけに、これまでCDでしか触れることのなかった名ピアニストの音楽をじかに聴けたことはやはりよかった。終了後のおじぎはいやに愛想のよいものだったけれど。横のラビノヴィチが常にアルゲリッチの動きを気にしながらおじぎしていたのが印象的。

(1998年5月31日記)


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