鼻唄クラシック


マーラーを聴こう!

 以前はベートーヴェンばかり聴いていたけれど、最近はCDプレイヤーに入れるのはもっぱらマーラーの交響曲。1番から未完成に終わった10番まであるけれど、どれをよく聴くというのではなく、気分に応じてランダムに聴いている。指揮者やオーケストラも、その時の気分にあわせている。
 例えば、へろへろに疲れていてBGM的に聴きたい時は、カラヤン指揮ベルリンフィルの4番なんかがいい。ただもう美しい旋律が右の耳から左の耳へと抜けていく感じ。ストレスを発散させたい時はショルティ指揮シカゴ響で1番を聴く。苦しみも哀しみも力づくでねじふせ、最後には能天気なまでに高らかにフィナーレを歌い上げる。いささか興奮している時はバーンスタイン指揮ニューヨークフィルの6番がいい。あおるだけあおっておいて最後にしみいるように消えていく、その感じがたまらない。辛い気持ちを癒したい時はノイマン指揮チェコフィルの9番に限る。死の直前に録音したもので、透徹した音楽がじんわりと体全体にしみとおっていく。何か投げやりな気持ちの時はブーレーズ指揮クリーヴランド響の7番だ。絶望的な音楽を冷ややかに演奏しているからかえって「いやいやそこまで突き放さんでもええやろう」と前向きな気持ちになったりする。気分のいい時はクーベリック指揮バイエルン放送響で5番を楽しむ。これはライヴ録音で、浮き沈みする感情を暖かく包みこむような気持ちになる。
 どうしてこうマーラーばかり聴くのだろう。
 たぶん、理性よりも感情がほとばしっているところがいいのだろう。マーラー自身がもっていた弱味も何もかもさらけ出したような、そんなところにひかれるのだと思う。1曲の間に、苦しげにうめいていたかと思うとはずみをつけて楽しげになったり、ただひたすら美しい旋律が続いたりと、とにかく浮き沈みが激しいのだ。
 ここ2年ほど、転居や転勤などで心を落ち着けてじっくりと音楽を楽しむ時間か持てない。そういう時にモーツァルトを聴いても気持ちが同調しないのだ。それよりも何かしながらマーラーを聴いていると意外にすんなりと曲が心にフィットしてくる。そして、そのリズムに乗りながら本を読んだりものを書いたりできる。BGMというのとも違う。もう少し深い部分で音楽をとらえているように思う。
 確かにマーラーはモーツァルトやベートーヴェンと比べると深みに欠けるかもしれない。それでも、感情の部分で心を揺さぶるものがあることは確かだ。だから、時には心地よく時には辛く苦しい。
 私のお気に入りのCDは前述のものの他、全集でテンシュテット指揮ロンドンフィルの演奏がある。何か心にえぐりこんでくる響きがある。
 さあ、今日もマーラーを聴こう。明日から休みでちょっと疲れが出てるから、サロネン指揮ロスアンジェルスフィルの4番がいいかな。バーバラ・ヘンドリックスの歌声が胸にきゅっとくるのです。

(2002年9月13日記)


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