鼻唄クラシック


ラトルのベートーヴェン

 ここのところ、ものを書く時のBGMはもっぱらサイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ベートーヴェン交響曲全集」のCDである。購入してからだいぶたつけれど、けっこう気に入っている。
 ベートーヴェンの交響曲の全曲セットはいろいろと持っていて、名盤という定評のあるものはだいたい押さえている。今までで一番好きな全集はレナード・バーンスタイン指揮のウィーンフィルハーモニーのもの。だいたいベートーヴェンの曲というのは交響曲に限らず一つの主題をあれこれと変奏するというのガ特徴で、かなり粘着質の性格だったのではないかと思うくらい。バーンスタインが指揮をすると、そういう粘着質な部分が強調される。ただ、ウィーン・フィルはベートーヴェン演奏では伝統があり、バーンスタインが強調する粘着質な部分を優美に表現する。つまり、中和するわけです。ニューヨーク・フィルハーモニーを振った録音だと、そのあたりが露骨に出てしまいすぎる。
 これは別にバーンスタインに限ったことではなく、例えば剛腕指揮者のゲオルク・ショルティであっても同様で、手兵のシカゴ交響楽団との2回の全集録音ではベートーヴェンの粘着質な部分もただ単純に音として一気に鳴らしてしまいコクがない演奏になっているのだが、晩年に録音したウィーン・フィルとの演奏会のライヴを聴くと、力づくという印象は変わらないものの曲をねじ伏せるという感じはなくなっていて爽快な演奏になっている。
 ラトルのベートーヴェンはどうか。ラトルはピリオド楽器の奏法を取り入れたりと思い切ったことをする指揮者である。この全集でも、他の指揮者はあまり強調しないところを聴衆に聴かせるような感じはある。実は、これをやり過ぎるとただの妙な演奏になってしまう危険性がある。そこを中和しているのがウィーン・フィルなのだ。むろん、ウィーン・フィルはラトルの要求するピリオド楽器的な奏法を拒否したりはしていない。これがウィーンフィルの音かと思われる部分もある。それでも、木管の柔らかい音色がともすればきつく響く弦の音とうまく調和して、対照の妙を味わうことができるものになっているのだ。
 曲によっては割と平凡に感じられるところもあったりして、今まで聴いてきたなかのベスト盤には推すことはないだろうけれど、現在聴くことのできるベートーヴェンとしてはかなり高いレベルの演奏であるだろうと思う。
 ラトルはベルリン・フィルの音楽監督となったので、何年かしたらベルリン・フィルとも全集を完成させるだろう。そうなると、おそらくベルリン・フィルはラトルの要求する音をきっちりと出す、そんな演奏のものになるだろうと予想される。そこで、このウィーン・フィルとの全集を今のうちにしっかりと聴きこんでおき、将来ベルリン・フィルとの全集が出た時にはしっかりと比較試聴してみたいものである。

(2003年7月8日記)


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