つっこみたいところは山ほどある。安土・桃山時代に三色だんごはあったのか。抜け忍がかぶき者の喧嘩の仲裁などという目立つ行動をとっていいものなのか。「葵屋宗達」という絵師が出てくるが俵屋宗達がいるのに「宗達」を名乗る絵師がいていいのか。武士が忍者に学問を勧めるのにテキストとして「百人一首」をもちだすのはなぜだ。「論語」「孫子」ではないのか。
しかし、このシリーズはそういうつっこみをする性質のものではないのだ。そんな細かいことはどうでもいいのだ。忍者のくせに往来で「俺は忍者風切一平太!」と叫んでもよい世界なのだ。お子様むけのギャグ漫画の原作なのだ。これで3巻目ということはそれなりに売れているということだろうから、これを喜んで読む層がいるということなのだ。
忍者といえば「光あるところに影がある。まこと栄光の影には数知れぬ忍者の姿があった」と聞かされて育ったおっちゃんの出る幕ではないのだろう。
それにしても、読者をバカにするな。ちゃんと最低限のことは調べて書け!
(1997年10月30日読了)