神林長平の小説を読むのは「魂の駆動体」以来。ほんとにSFを読んどらんなあ。
表題の「ライトジーン」とは、人工臓器の会社の名前でその会社は解体されたが人工臓器の技術は散らばって受け継がれ、この時代では人工臓器を移植するのはあたりまえとなっている。「ライトジーンの遺産」とはそういった状況を指す。それともう一つ、ライトジーン社は人造人間を二体作り出していた。主人公のセプテンバー・コウとその兄であるMJである。二人は「サイファ」といわれる超能力者であった。ライトジーン社の遺産とは、この二人のことでもある。
本書は7編のエピソードを連ねて一つの長編とする構成をとっており、エピソードを積み重ねていくうちに全体像が浮かび上がる仕組みになっている。
人間の体を道具としてとらえる臓器会社、それに対し人造人間であるがゆえに「人間性」を追求する主人公。その対立を通じて、「人間」とは何かを考えさせられる。例えば、「サイファ」の超能力にしても、一般人はそれを人間を超える力だと思い彼等を恐れるのに対し、主人公はこんな能力を使うよりも体を動かしてなにかするほうが合理的であり超能力は人間が進化する中で切り捨てていった能力だと言う。ここらへんの発想が本書のカギを握っているように思う。
うまく言えないのだが、科学の進歩や超能力を否定するのでも肯定するのでもない、まずあるがままに受け入れ、そこから新しい倫理感や人間の生き方を考える話のように感じた。アクションありミステリの要素もあり、非常に優れたエンタティンメント小説である。で、あるが、文体のせいもあるのかもしれないが、一気に読み切ってしまうほどの魅力を感じなかったのも事実。どうにも理屈っぽいのだ。それが作者の持ち味とはいえ。理屈抜きの面白さという点では、「魂の駆動体」のほうが上かもしれない。
(1997年11月22日読了)