なんとも不思議な小説である。近未来を”光世紀”と定義づけ、作者が理想とする「ポリス」を出雲に設定。その設定を事細かに描写、説明するだけで2冊も費している。そこを舞台に何か起きるというわけでもない。いや、細かなことは起きているのだ。ただ、それも設定描写の一手段でしかない。そこにすむ人の日常を描いて物語にするというわけでもない。
こういうのは”小説”というのかなあ。
この”ポリス”の設定は、作者が読んだ文献から理想的な考え方を切り接ぎ、パッチワークにしたような感じがする。だから、いろいろなところに矛盾を感じるのですよ。
ところで、メンタル・タフネスの形成のために、学校で生徒一人ずつが友だちから罵倒される時間を設けるという描写があり、驚いた。いくら専門家がついていて精神的なダメージを受けそうになったらドクターストップをかけると但し書きがしてあったとしても、取り返しのつかないトラウマを負っていることがありそうなものだ。人の心はそう簡単に外部からはわからないものでしょう。教師として、また、カウンセリングを少しばかりかじった者としては、ちょっと受け入れ難い方法である。
なんだか、机上の空論を鵜呑みにした、という感は否めない。
1960年代の少年週刊誌などで「これが21世紀だ」と描いたバラ色の未来のグラビアを見せられているみたいですねえ。
(1998年2月14日読了)