沖縄に参戦せず、呉で終戦を迎えた戦艦「大和」は米国に接収されて「モンタナ」と改名。朝鮮戦争、ベトナム戦争、リビア紛争、湾岸戦争と戦後も使用されることになる。政治的な意図に翻弄される名艦を日本に返還してもらえるようにする運動とからませながら、記念艦として生まれ変わるまでの”ビッグY”こと「大和」の数奇な運命を描く。
大和に対する作者の思い入れがよく伝わってくる。それだけではない。大和の戦後をたどりながら、アメリカへの批判、反戦運動家(というか、いわゆる戦後知識人)への批判、その他、日本の軍備のあり方など、様々な問題意識を持って書かれた意欲作である。
これまでの架空戦記にはあまりない、戦後史を本格的にとらえたものとして大きく評価したい。
ところで、作者の朝日新聞とおぼしき大新聞や日本社会党(現社民党)とおぼしき”革新”政党に対する感情は、なにか憎悪に近いものを感じてしまう。特に、反戦運動家が極端でヒステリックな言動をするくだりでは、かえって作者の意識が反戦運動というものに対してヒステリーを起こしているような印象すら感じてしまった。そこからはまるで作者が戦争を肯定しているようにさえ感じられるのだ。決してそうではないにも関わらず。なぜこの部分だけこれだけバランスを欠いた描写になるのか。この種の描写は作者の他の作品にもある。よほど嫌な思いでもした経験があるのだろうか。私には、しっくりこない”しこり”が残るのだ。
(1998年2月22日読了)