真珠湾攻撃のただなかで空母に帰ってきた艦爆機。その操縦士は毒を呑んで死亡していた。戦争中に起きた殺人事件を解決する物語かと思いきや、他の章では死んだはずの飛行士はミッドウェイ攻撃に参加してそこで戦死したことになっている。
二つの世界が平行して描かれ、物語は錯綜し、ところどころにはさまる悪夢の描写……。
何重にも重ねられた世界はその世界を俯瞰することのできる人物の登場で一つに束ねられるかに見えるのだが……。
この作品を論ずるのに、架空戦記を引き合いに出すべきではないだろう。戦争はここではモチーフの一つであり、架空戦記のように史実と改変世界を比較してみたりあり得たかもしれない歴史の状況そのものをマニアックに楽しんでみたりという性格の小説ではないのである。
人間の利己的な欲望や葛藤などというものを、微妙に違う二つの世界をのぞき見ることのできる主人公の目を通してあぶり出し、そこから人間社会のもつ矛盾を指摘していくのだ。
裏表の顔を使い分ける彦坂という悪役も、キリスト者として個人主義のあり方を問う弁護士も、自己を中心として生きているという点では同根であり、それはいわゆる人間の原罪とでもいうものかもしれない。
いつも架空戦記のおせじにも上手とはいえない文章やおよそ小説としては評価しにくい構成に慣れてしまった私としては「本当の小説を読んだ!」という実感がある。
戦後生まれの作家によるフィクションとして描かれた太平洋戦争小説の一つの方向性が本書では示されているように思われる。全く救いようのない展開であるが、エピローグで主人公の妹が幸福に戦後を迎えることを暗示して、読者に対する救いを与えているところにも好感がもてた。
これは、文芸作品としてもミステリとしてもむろんSFとしてもどのジャンルでも様々な読み方のできる傑作である。特にジャンルを規定せよ、といわれれば、こう答えたい。
「これは、優れた”小説”です」。
(1998年5月4日読了)