作者は現在は作家だが、かつては「ABブラザーズ」というコンビの一人であった。
彼は過去と決別しようとしたのだろうか。路木という名の作者を思わせる元芸人の作家を主人公として、路木が芸人になろうとたどった道のり、コンビ結成、人気が出るまで、コンビ別れ、その結果などを描き出した。
「タレント」として売れていく相棒、「芸人」であり続けようとした主人公との食い違い。相棒はTVに出ない日はなく、主人公は仕事もなく飲んだくれていく。これが私小説というものなのか。自分というものを削り取るようにして書かれたようだ。決別、というよりは受容と呼ぶべきかもしれない。過去の自分を受け入れて現在の作家としての新たな道を探るために、この作品を書かねばならなかったのだろうか。
演芸ファンとして、私は読んだ。主人公はコンビを組む相手を間違えたのだ。というよりも、芸人にタレントの相棒を押しつけるプロダクションに入った悲劇か。そして、TVタレントとして売れてしまったことが悲劇を決定付けたというのか。もし、彼が大阪の演芸界にいたならば、話は変わっていたはず。大阪には舞台、劇場がまだあるのだ。「芸人」であることを選ぶものが生き続ける場所がある。もしかしたら、成功していたという可能性はある。
かくのごとく、東京発のTV番組は芸人を不要とし、人気タレントのみを必要としているのだ。おもろないもん、最近のゴールデンタイムの番組。たまにつけてもすぐチャンネルを変えるよ、私は。
なにかをつかもうとしてつかみきれなかった男の話である。
そして、私の読み方では、現在のTV番組に対する警鐘ととれた。作者本人にはその意識がなかったとしても、だ。
(1998年8月31日読了)