東京に行くと、鉄道の乗り継ぎで戸惑う。なんでかしらん、JRと接続している私鉄が多いのだ。JRがふんぞり返っていて私鉄が従属しているような雰囲気さえ感じる。
京阪神は違う。JRを利用するのは、遠出をする時だけというような意識がある。電車に乗るというと、まず私鉄を利用することが頭に浮かぶ。
これは都市の発達の仕方が東京と大阪では違ったからだということを、本書では鉄道の発達という側面から指摘している。私鉄を中心として発達した大阪は「民都」、国鉄を中心として発達した東京は「帝都」。
「鉄道国有法」の穴をすり抜けて私営の鉄道を走らせた阪神。国鉄の線路の上を高架から見下ろすように電車を走らせた阪急。特に、阪急は小林一三の反官意識とともにあり、本書が指摘するように阪急梅田駅からJR大阪駅の連絡通路は全くといっていいほど整備されていない。地下鉄や阪神への通路は宮殿のようにステンドグラスがはられ動く歩道が作られしているのに。
小林一三は「京阪神といふものは鉄道省にやつて貰はなくてもよろしい。そんなことは大きにお世話です。われわれがどんなにしてでも御覧に入れます」と述べている。大阪の私鉄には必ずターミナル駅がある。阪急の梅田、南海の難波などなど。私鉄の駅というものはそういうものだと思っていた。近鉄の京都駅でもそうだ。路線はJRと並行し、駅は全く接続していない。
どうも東京は違うらしいということを本書で知った。
戦前、東京は山手線が万里の長城よろしく私鉄の侵入をふさいでいた。大阪の環状線ではそのようなことはない。
小林一三は阪急沿線に都市を開発し、いち早く計画的な田園都市を建設する。東京市長の後藤新平をしてもできなかった都市計画を、小林と、それに続く私鉄各社は大阪でやってのけた。
しかし、昭和天皇の大礼がその状況を変えた。御召し列車の運行に際して国鉄が巻き返しを図る。大阪市民たちも天皇行幸を歓迎する。それ以降、関西もまた「帝都」の影響下に入っていくのである。
著者は東京の人。それゆえ、ひいき目なしに関西私鉄と大阪という都市の性格についてたどることができたのだろう。しかし、抜け落ちた点もなくはない。東京が「首都圏」というかたちで関東の各県を従えている印象が強いのに対し、関西は大阪は大阪、京都は京都、神戸は神戸といったようにそれぞれが独立(?)した存在であり、鉄道はその隙間を埋めていくように都市を開発していったのではないかと、私は思う。これは東京からは見えにくいところかもしれない。
なんにせよ、私鉄というものを通じて東京と大阪の違いを浮き彫りにした興味深い研究であることには違いない。
(1998年10月5日読了)