著者は「黄金太閤」(中公新書)で豊臣秀吉のイメージを一新させた気鋭の歴史学者。
本書では信頼度の高い史料と通説のもととなった史料を読み比べ、そこから水戸黄門こと徳川光圀と犬公方こと徳川綱吉の実相を明らかにしようという試み。
二人とも、本来なら家督を次ぐ立場になかったのに種々の理由から家を継ぐことになってしまった。そのため、名君たろうとして様々な事業を起こしたという共通点を持つことがわかってきた。光圀は「大日本史」の編纂に名を残す。隠居後も隠棲先で地元住民のトラブルに対処したりもしているのだ。家督継承の秘密を隠すため、水戸家では光圀をことさらに美化した。かくして後年の「水戸黄門漫遊記」が生まれる下地が作られた。
一方、綱吉は何かというと刀を抜くといった気風の残る武士や町人たちの意識改革を成し遂げようとする。そのために儒学の講議をしたり「生類憐れみの令」を出したりする。著者が調べていくうちに「生類憐れみの令」はそれほど厳格に適用されたわけでもなく、人々から怨嗟の声を浴びていたわけでもなかったことが判明していく。それよりも彼の評判を落としたのは相次ぐ大火、地震、富士山の噴火など、彼のせいではない災害だったのだ。
新井白石が、綱吉の後を継いだ家宣を美化するために「折たく柴の記」に記したことで、綱吉は暗君の犬公方のといわれるようになってしまった。
著者は「黄金太閤」の時と同様に政治家のパフォーマンスという点から光圀と綱吉をとらえ、わかりやすい語り口で提示してみせた。この「わかりやすさ」を高く評価したい。そして、江戸時代前半への認識を改めさせるユニークな視点に敬意を表したい。
(1998年10月30日読了)