「古事記」と「日本書紀」を比較。イザナミは日本書紀では黄泉国には行かず、高天原も存在しない。したがって、天孫降臨のありようも古事記とはかなり違ったものになってくる。
古事記も日本書紀も天皇家のいわれは書かれているが、天地の成り立ちについては説明がない。著者は本書で「日本神話」ではなく「天皇神話」という言葉を用いる根拠がそこにある。
著者は古事記と日本書紀を徹底的に読み込み、天武天皇以降、中国や朝鮮との関係から、朝廷をこれらの国と対等もしくは上位に置くために記紀が書かれたことを思い起こさせる。「記紀神話」の原形となった「神話」があったという先入観を捨て、天皇の神権支配の根拠として書かれた歴史書という視点を常に持つ。その上で、古事記が「ムスヒ」の神を拠り所とし日本書紀が「陰陽」を拠り所とした別の大系を持つ神話であると指摘する。
また、記紀の解釈が時の政治にあわせて仏教や儒教との整合性を持たせるものに変わっていったこと、本居宣長が日本人の思想の原典として古事記を読み直したこと、明治政府が天皇制を確立する上でいかに「記紀神話」を利用していったかということなどが説かれる。
記紀の構造から「天皇神話」の真の意味を探る意欲的な試みとして興味深く読めた。今後、記紀について語る時は、本書が大きな手引きとなるだろうと思う。
(1999年2月3日読了)