著者は、藝人の藝と、そして彼らの生き方、人柄などすべてについて愛着がある。というか、藝人の持つ藝人らしさというものをこよなく愛している。だから、本書の第1部「渥美清と田所康雄と車寅次郎」での渥美清論は渥美清のその藝人らしさの匂ってこない生き方に対してかなり突き放した書き方になる。しかし、それがかえって「男はつらいよ」という映画に対する優れた論考になるのだ。国民栄誉賞の賞状には、本名が記されるという。したがって、田所康雄に対して国民栄誉賞が贈られたことになってしまう。が、著者は渥美清の藝人としての生き方から、国民栄誉賞は田所康雄ではもちろんなく渥美清でもなく車寅次郎に贈られるべきだったと説く。納得させられてしまった。
第2部「藝人という生き方」は25年ほど前に新聞連載した藝人へのインタビュー記事をまとめている。ここには著者の好みが如実に反映されていて、藝も生き方も軽妙洒脱な藝人への思いを読みとれる。
第3部「藝人の本、藝の本」は長年新聞雑誌に書いてきた書評をまとめたもの。いずれも藝人とその世界を扱った本をとりあげているが、藝に、そして藝人に対する愛情が感じられない本には冷淡である。
著者の考える「藝人」はあくまで浮き世とは違った世界の人であってほしいようでもあるし生活感を感じさせてもほしいようだ。そこらあたりの微妙なバランスを帯の惹句は一言で言い当てている。
「生き方そのものが藝になる人たち」。
ひとつ間違うと著者の思い描く藝人像の押しつけになるところだが、しゃれた文章のせいかそれを感じさせない。そこらあたりは絶妙なバランスといえるだろう。
(1999年3月14日読了)