旧態依然の寄席と協会、元気のない噺家たち……。落語から客が離れていく、という東京の落語界の現状を憂いた著者の提言。噺家自身によるプロデュース、古典を現代に通じる形で手を加える、新作落語の活性化、終演時間を遅らせる……など。
これを読んで、唖然とした。上方落語の世界では、米朝事務所、桂枝雀、桂文珍、桂三枝をはじめとする数多くの落語家たちによってなされてきたことだからだ。大阪の演芸界が、興業会社と漫才中心という形で進んできた中で、一時は滅びるとさえいわれていた、そこから現在に至る苦悩をくぐり抜け、取り組んできたことなのだ。
寄席と落語が芯としてある東京の演芸場の現状がよくわかる。色物として漫才や諸芸を一段低くおとしめ、階級的なものを大事にしてきた弊害なのだろうか。おもろかったらなんでもええのやという大阪の演芸場とは違うのだということがよくわかり、興味深い。
著者にこう提言したい。東京の若手や中堅の落語家たちは大阪で定期的に勉強会や交流会を開いて、上方落語家の姿勢を吸収してはいかがか、と。
(2000年3月11日読了)