断筆中に書かれたものと解禁後に書かれたものを含む短編集。
「エンガッツィオ司令塔」は、開発中の薬剤の被験者となった青年が、複数の薬剤を並行して服用したために起こる狂気を描いている。電波を受けて行動するという設定ではあるが、牧野修が現代社会の歪みを電波系という観点から描いているのに対し、作者は狂気そのものを描こうとしているように感じられた。そのための装置として薬物を介在させているのではないだろうか。その描写、表現は、怒濤のようなテンポとタッチであるが、どこかに醒めた視線が感じられるのである。
「乖離」は美人コメンテイターの口から発せられる下品きわまりないが物事の本質を鋭くえぐる言葉を執拗に描く。マスメディアの欺瞞性を暴くというテーマを感じたが、巻末に附された「断筆解禁宣言」と併せて読むと執筆当時の作者の心境が推し量られて興味深い。
「猫が来るものか」で描かれたドラッグによる偏執的な狂気も捨てがたいが、狂気を一つの世界として具現化して見せた「魔境山水」のイマジネーションには圧倒させられた。
その他の短編を含めて出来不出来はあるものの、往年の傑作群を彷彿とさせる短編集で、筒井康隆は健在であると再確認させてくれる。その頃と比べると幾分インパクトが薄れているような気はするのだが。
(2000年3月20日読了)