落語立川流家元が、100組の芸人を選び、その芸について語る。寄席芸人だけではない。舞の海や式守勘太夫まで入っている。著者が「芸」があると感じた人を思いつくままに選んでいるのだ。著者の「芸」を見る目の確かさを感じさせる。ただ、いちいち自分のことを持ち上げずに入られないところは著者らしい。なんだか野暮に感じられるが。
志ん生に始まり文楽で閉じる100組には、あまり他の人の採り上げない小野巡、田中朗(浅学非才にして、私は知らなかった)といった人までがいる。バラエティに富んだ陣容といえる。
興味深いのは、著者が採り上げなかった芸人、特に、桂枝雀、古今亭志ん朝、柳家小三治あたりについて。彼らは著者のライバル的な存在だと思うのだ。それなのになぜ採り上げなかったか。愚考するに、これはおそらく著者が彼らを認めていなかったからではなく、認めざるを得ないが認めるのはしゃくだということではないだろうか。著者が得たい得たいと思いながら得られなかったものを彼らはつかんだに違いない。それを認めてしまうと、著者のアイデンティティーは保てないのではなかろうか。邪推ではありますがね。
そういったところも含めて、実に楽しい読み方のできる1冊。
山藤章二による芸人たちの肖像画が、絶品。例えばマルセ太郎の狂気をはらんだような恐い目をこうずばりと描ける画家はそれほどいるまい。
(2000年4月14日読了)