落語をこよなく愛する著者による本格的な落語論。「古典落語」は関東大震災以後、着物文化が洋装文化に移り変わる中でそういう名で呼ばれるようになっていったこと。速記録により活字の落語がまず全国に広がり、近代文学にも影響を与えたこと。ラジオ放送により、寄席での伸縮自在な話芸であった落語が時間に縛られるようになってきたこと。それらの歴史を踏まえた上で、歌笑、文樂、志ん生、圓生、可樂、金語樓、三平、柳朝、正藏ら昭和の名人たちを論じることにより、落語という「藝」の本質を探っていく。
上方落語については新聞掲載のコラムをところどころに挿入することによりカバーするという心遣いもみせている。
芸人と客がいれば1対1でも成立するというこの不思議な、そして奥の深い芸。この芸が現在かかえている問題点は高度経済成長期以後、ほとんど変わっていないという指摘も、長くこの芸を見てきた人ならではの説得力がある。
芸人の個性によりかかる部分が今後ますます重くなっていくこの落語という芸が、それ故に今後もしぶとく生き続けていくことを確信する結びが、なんとなく嬉しく感じられた。
「落語には青春という時間を燃焼させてやまないところがあるようだ」という一文に多いに共感した。
(2000年4月29日読了)