昭和の初め、零落した船場の商家の姉妹たちが綴る人間模様を描く。長女鶴子は銀行員の夫と東京へ。次女幸子は蘆屋に夫貞之助と一人娘の悦子と暮らす。三女雪子は三十路を迎えまだ独身。四女妙子は人形製作のかたわら、恋に生きる。物語は雪子の縁談を中心に進む。どのような縁談にも決して首を縦に振らない雪子に、鶴子は体面を気にするばかり。幸子は雪子の気持ちを知りながらも、鶴子との間にはさまりやきもきする日々。平凡な日常とささやかな事件、四季折々の行事などを織り込んで、物語は少しずつ動いていく。
零落しながらも中流の生活を保っているという設定に、昭和初期の裕福な家庭に生まれた女性たちの美しさ、強さがにじみ出てくる。それを綴る文章の美しさ。「美しい日本語」とはこういう文章のことを指すのだとため息がでるようである。
戦前の「上方文化」、特に船場の旧家の気風と「阪急」が作り出した新しい中流階層の文化が姉妹の生活や微妙な意識の揺れなどを通じて表現されている。最初はゆったりとした展開をしんきくさく感じたのだが、ことさら劇的に描かれていないのに次第次第に引き込まれていく。作者の言葉の魔術にかかったようだ。
関東大震災以降、東京から失われた情緒を阪神間の新興住宅地に求めた作者の心情が、あくまで行間を読ませる形で奥床しく、しかし鋭く表現されているのには唸らされた。
今さら私が強調することではないのだが、文学史に残る名作とはこういうもののことをいうのだと実感させられた。
(2000年8月13日読了)