大学をドロップアウトし、無職で怠惰な生活を送っている藤森直人は、幼い頃の記憶をたどっていく。そこで思い出したのは、二つの月の見える夜空、そして「よもつしこめ」と名乗る老婆との会話。少年時代の彼は「よもつしこめ」からこの世には複数の世界があるが、「物心」を手に入れた時、その世界は一つだけしか見えなくなる。それが「大人」になることだと聞かされていた。生活に困り、パチンコや裏ビデオ販売で食いつなごうとする直人だが……。彼は月が二つあったもう一つの世界を夢見るが……。
SFにおける並行世界もののホラー的展開といったところか。「物心」がキーワードとなっている。ここでは、子どもに開けている可能性とその現実的な選択を象徴的に扱っているものと考えられる。むろん、作者のことだから単純にやり直しのきく現実逃避願望充足的な展開になるはずはない。
アイデアとしては短編小説向きであるが、主人公の自暴自棄的な生活のひどさをこれでもかこれでもかと細部まで描くことにより、人間そのものの怖さを感じさせる小説にもして中編にまとめあげている。全ての失敗の原因をパラフレーズして自分に都合のよいように受け止め逃避する男の醜さこそ、作者が描きたかったものなのかもしれない。
やはり、小林泰三は邪悪である。
(2000年11月3日読了)