西国三十三ケ所巡りに見られる観音信仰、地蔵盆や水子地蔵などに見られる地蔵信仰、そして全国各地に見られる不動信仰。これらが宗派や教義を超えて広範に広まり、今なお信仰の対象となっているのはなぜなのか。貴族、武士、庶民と階級に関係なく人々を魅了した理由は。
本書は、これらの仏の源流をインドまでたどるとともに、中国を経由して日本に入ってくる中で起こった変化をたどり、どのような形で受容されていったのかを検証する。歴史学的視点に加え、民俗学の視点からも探っていっている。
本書によって、これらの信仰は、現世利益と同時に来世の安寧も保証するという形で広まっていったことが明らかにされる。人々は現世の苦しみをやわらげる一方で、死後も極楽に導いてもらったり、あるいは地獄の苦しみを肩代わりしてもらったりすることを期待していたのである。
本書を読んで強く感じることは、新宗教に人々が求めるものもこれらの信仰も、根っこはいっしょであるのだということである。何かにすがらなければ生きてゆけない時に、どんな形のものにすがろうと、本質的なところではそれほど今も昔も変化はしていないのではないかと思ってしまった。
あとは、時代に応じてその形を変えていくのみ。その時代ごとの移り変わりも見通しているので、非常にわかりやすい。宗教というものについて考えたい人には一読をお薦めしたい入門書の一つだろう。
(2001年1月4日読了)