半ば神格化された明治天皇、神から人間に戻り未曾有の一生を送った昭和天皇。この二人に関する研究は多くなされているが、その狭間に生きた大正天皇に関する研究は意外に多くないらしい。しかも、病弱で在位中に皇太子(後の昭和天皇)が摂政となるなど、天皇としての影の薄さ、議会開催中に書類を丸めて望遠鏡のようにして中を覗いたという「遠眼鏡事件」のような風説が流布するなど、印象はあまりよくない。知能が劣った天皇というイメージはどのようにして形作られたのか、そしてそのイメージは誰を利しているのか、大正天皇の実像はどのようなものだったのか。本書は、大正天皇の事蹟を綿密に追い、その実像と彼の生きた時代の意味を問い直した労作である。
大正天皇は幼少時確かに病弱であり、そのために学校での学習が遅れたのは事実であったようだ。しかし、皇太子として日本各地に旅行をし、その地で出会った人々に思いつくままに好奇心に満ちた問いかけをし……という彼の姿が当時の新聞記事や「原敬日記」等の史料により明らかにされ、青年期の大正天皇が明治天皇とは違う生き方を模索していたことがはっきりしていく。しかし、時代はそのような開明的な天皇を必要とせず、神秘に満ちた明治天皇の後継者であることを彼に強要する。そして、彼がその任に耐えられないと判断した元勲たちは昭和天皇に英才教育を施し、彼らの望む天皇像に合致した人物に育て上げていく。
昭和という時代を迎え、新たな天皇への期待は高まる一方で、大正天皇の開明的なイメージは葬り去る必要があったのである。それは、大正デモクラシーなどの潮流をせき止める役割を果たしていたとさえ言える。大正天皇に残された虚像は、一旦開かれかけた皇室を閉ざすためのものだったのだ。
本書では大正天皇を探ることにより、明治から昭和にかけての日本近代史のダイナミズムを明らかにしようとする試みがなされる。それは、大正という時代への認識を一新させるだけの内容を持っているのだ。
大正天皇の悲劇は、明治天皇の嫡男として生まれてしまったという、その一点に尽きるのかもしれない。
(2001年2月14日読了)