島原の乱で天草四郎が所持していたという時計がいくつか仕掛けてある卵型の石、刻卵。放送作家の祝座は学生時代の友人である六囲に珍しいものがあると誘われ、そのもとへおもむく。祝座が見せられたのは、時計が仕掛けられた卵型の石だった。しかも箱書には「山田右衛門作」の名が。右衛門作とは島原の乱で唯一生き延びた人物の名である。しかし、この石には時計が一つ欠けている。六囲によると、彼の父が借金の肩に近所の知人に渡してしまったという。興味を持った祝座は時計を取り戻し、その石にはめればどうなるかを試すことにする。時計を取り戻すためにひと芝居打った祝座。そして、時計を完全にはめた石 刻卵 は長い歳月にわたる眠りからさめて動き出す。いったいその時なにが起こるのか……。
擬古的な文体、目まぐるしく変わる視点、執拗なまでに描写される二人の男の心理的な駆け引き……。本書はそういった構成自体が大きな仕掛けになった物語である。いや、物語というほどストーリー性はない。ストーリーや刻Y卵の謎などたいして重要ではないのだと作者は考えているようなのだ。文章により不思議な空間を作り出し、その世界に読み手を引き込むことが目的であるかのようである。
そういう意味では本書はまさしく奇想小説であり実験小説でもある。だが、その実験にこるがゆえに作品自体も迷宮に入ってしまったような印象を受けた。私の好みはもう少しストーリー性の強い小説なので、本書は若干読みにくく肌に合わない感じがしたが、パズラー小説の好きな人だともっと評価が高くなるのかもしれない。
なお、本書は解説でかなり重要な解読がなされている。したがって、決して解説を先に読んではいけない。ページの順に読みすすめることをお薦めする。
作者は第1回奇想天外新人賞の最終候補に残って、その候補作「遠雷」(掲載時は「雷鳴の中に……」と改題)が、「奇想天外」誌1979年3月号に掲載されています。
本稿を最初に公開した時は覆面作家と書いてしまいましたが、翻訳家の山岸真さんのご指摘により、上記のように作者の経歴が判明いたしました。「覆面作家」云々は私の独断による間違いでした。作者および関係者の方にご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。
(2001年3月14日読了)