舞台は19世紀末、ヴィクトリア女王治世下のロンドン。緋色の霧がロンドンを覆う時、奇怪な現象が帝都を混乱に陥れる。おとなしいはずの犬や馬が人を食らい、ブロンズの像が人を襲い、樹木の根がのびて人の体液を吸い取る……。日本から留学してきた画学生、牧野義雄は親友のジェニングス、無頼の留学生、南方熊楠、そして秘密を持つ女性シルヴィアとともにこの怪現象の謎を追う。南方の言によると「黒科学」なるものが関係しているらしいのだ。彼らは大英博物館の地下に忍び込み、その鍵を握る書物を探すが……。
シャーロック・ホームズ研究家としても知られる作者が、その豊富な知識を土台にロンドンを舞台にしたホラー長篇に挑戦した。本書の見どころはなんといっても緋色の霧が招く怪現象の描写にある。ユニークなアイデアを次々と提出し、読み手をこの奇妙な世界に力ずくで引き込むのだ。
実在の人物を虚構の世界に活躍させることにより、生き生きとした人間像を描くことにも成功している。伝統的な手法とはいえ、実在の人物を主人公に荒唐無稽な物語を紡ぎ出すには背景にそれらへの深い知識と理解が必要だ。こういうことを教養と呼ぶのだろう。
謎解きそのものにはそれほど新味があるわけではないけれど、それをうわまわるシチュエーションの妙が本書の最大の魅力となっている。そして、19世紀末のロンドンの霧を読みながら吸い込んでいるような、そんな気分にさせてくれる作品である。
(2001年3月21日読了)