関西の人気放送作家による第1エッセイ集。
酔いの飽和点にくると必ずくしゃみをした氷屋の主人であった父親の思い出、大阪大空襲の際に命の綱となる水を入れて逃げたやかんが見つかり捨てるか残すか逡巡する話、カラオケバーで気持ちよく歌っていたらまわりの者から実は歌が下手だと思われていたのを知らずにいて恥ずかしい思いをする話など、芸能界という一見派手に見える世界に関わりながら、本当ははにかみやでささいなことが気になるという著者の本音をのぞくことができる好著。
特に気に入ったのは、「大阪知らず」という一編で、大学時代に東京にいた著者が実は古い東京のたたずまいに憧憬の念を抱いていて、世間で言われているゴッタ煮の大阪を恥ずかしく思い、大阪は東京や京都の人間から笑われていることに気付き、少しは恥ずかしがるべきだというところである。それはまぎれもなく著者の心にある古い大阪へのオマージュでもあるだろうし、マスコミなどで作られた大阪の虚像への抵抗でもあるだろう。
そこに著者のストイックな感情を見るのだ。思い入れを持ちながら、それを表に出すことが少し恥ずかしいという繊細な感情を。
新野新、粋な人である。
(2001年3月30日読了)