明治末期が舞台。徳島の洋服問屋で幼い跡取り息子が神隠しにあう事件が起きる。男色の祈祷師がお祓いをした結果、その子どもは消えた三番蔵から再び姿を現した。ところが、戻ってきた時その息子は3人に増えていたのだ。これを〈怨霊〉の仕業として退治するために登場するのが陰陽師の安倍北麿と怨霊師の真名瀬舞。陰陽師は〈怨霊〉のありかを探り、怨霊師はそれを退治する役割である。この〈怨霊〉は今まで彼らが退治してきた〈怨霊〉よりも強力な存在で、弘法大師が四国に張った結界を四方で守っていた怨霊師と陰陽師たちが徳島に集結し、総力で当たることになる。一方、この〈怨霊〉を生け捕りにしようとする傀儡衆は不死の兵士を提供するという条件で軍部と手を組もうとしていた。様々な思惑で動く人々が入り交じり、壮絶な戦いが始まろうとしている。
作者はオカルト研究家だそうで、本書は小説デビュー作になる。豊富な知識をつぎこみ、否応もなく読み手を作品世界に引きずり込む熱気で読ませる。怨霊を退治する『怨霊師』というものを創造したのはなかなかのアイデアであろう。〈怨霊〉との戦いなどのクライマックスの盛り上げ方も強引ではあるものの読み手を引き付ける力を持っている。
しかし、著者略歴にある通りの「世界史および日本史研究家であると共に神道研究家であり、マニアックなほどの陰陽道研究家」であるとしたら、例えば〈怨霊〉の定義は日本史を少しでも研究している者なら決してとらないものであるだろうし(〈妖怪〉とすればよかったのでは、と思う)、陰陽師の役割も本来の陰陽師のものとはかなり違うのが気になる。物語を面白くするためにわざとそうしたのだろうけれど、それが恣意的に過ぎてリアリティを損なう結果になっているのではないかと思う。
事実と虚構をバランスよく混ぜ合わせることにより小説はリアリティを持ち、それゆえ虚構は真実味を帯びてくる。しかし、ここまで潤色してしまうとかえってあざとさを感じてしまう。また、ストーリーの本筋にはあまり関係のないところまで詳述してしまい、物語の流れが滞るところも見受けられる。
むろん小説デビュー作であるから、そこらあたりの技法は書き続けることによって身につけていくのだろうとは思うけれど。次巻以降はそういったテクニックがどれだけ身についたかにも注目したい。
(2001年5月28日読了)