読書感想文


昔、火星のあった場所
北野勇作著
徳間デュアル文庫
2001年5月31日第1刷
定価619円

 第4回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作。本格デビュー作、待望の文庫化である。
 ぼくは火星開発会社の社員だ。だけど火星は二つの火星開発会社が競争で開いた〈門〉の影響で分解して今はない。その火星を取り戻そうとして二つの会社はまた競争してるんだけど、どうやら二つの会社は並行する二つの世界に別々に存在していて重なりあうようにして出現しているらしい。この世界にはタヌキという存在がいて人間そっくりなんだけど、人間とは対立している。会社をクビになった僕はタヌキの経営する会社に入社して、カチカチ山駅跡について調べる事になった。僕の恋人が作った自己発展タイプの人工知能『小春』に導かれるようにしてぼくは逃げたタヌキたちを追ってカチカチ山駅跡に侵入した。分裂した世界と火星とタヌキとぼくと……。なくなった火星はもとに戻るのだろうか。
 量子論のアイデア、人工知能の扱い、タヌキという存在の概念など、まごうかたなきハードSFなのである。それなのに、柔らかなタッチの文体や場面設定、登場人物の性格づけなどにより、何か不思議なムードのファンタジーという雰囲気の作品になっている。そこが作者の持ち味であり、魅力である。デビュー作はその作家の特徴を示すといわれているが、本書こそまさしくその通りだろう。
 読んでいるうちにストーリーが交錯し、自分が今どこに立っているのかくらりとくる感覚に襲われる。そこにSFとしての裏付けがあるから凄いなあと思うのだけれど、それを意識させないところがまた凄いなあと思うのだ。これは単なる「いい話」ではないのです。そこがこれまた凄いなあと思うのだ。

(2001年6月17日読了)


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