看護ロボットであるミキは、姿形は円柱型のボディと透明なボウルに浮かぶホログラムの顔を持つという人間とはかなりかけ離れた姿をしていた。ミキは外科病棟、小児科病棟、そしてホスピス病棟を担当していくうちに自分に「過去」の「記憶」があるらしいことがわかってきた。豊富な看護に関する知識はデータベースから引き出されたものだろうが、その「記憶」だけは別物だと認識をする。ミキの前に配置されていた看護ロボットは猿の神経中枢がつながっていたということを知り、自分の「過去」が猿のそれではなかったかと恐怖するミキ。院長夫妻は全てのことを知っているらしいが、それを明かしてはくれない。ミキは自力で自分の「過去」を探り当てようとするが……。
自分探しというテーマをつきつめていき、ついには「人間として生きる」ということはどういうものなのかを問いかける。一見、主人公を含む不完全な者への希望を描き出しているかに見えるが、本書が提起する命題はそのような薄っぺらいものではない。一見楽観的に見えるラストの裏に隠されたメッセージは、重く、厳しい。
障害児教育にたずさわっていると、重度障害児や自閉的傾向の子どもに対する接し方で一度は壁にぶちあたる。それは乗り越えようとしてもなかなか乗り越え切れない壁である。というか、厳しくそびえたつ山であるかと思う。しかし、彼らももちろん「人間」である。知覚に限界があっても、快不快を感じ、欲望を持つ「人間」なのである。だが、彼らを「獣のようなもの」と考える教師もいる。そうした言説を耳にした時のいいしれぬ不快感。本書を読むとそのことが思い出された。
「人間として生きる」ことをどう定義するのか。本書の投げかけるテーマはなんとも切なく辛い。
(2001年10月29日読了)