恐怖政治をしく独裁者、統首(ファーザー)の誕生パーティーの座興として行われるゲーム。それは檻(ケージ)に閉じ込められた政治犯の中から選び出された8人の囚人を解き放ち、〈恐怖城〉から無事脱出できたものを特赦とするという趣向である。今年の囚人は、もと刑事の関口、テロリストの矢作、ニュースキャスターの新庄とそのアシスタントの稲葉、主婦の佐島、純という少女、若いチンピラ、そして〈恐怖城〉の構造にくわしい塚田……。互いを利用し、あるいは自分を過信し、彼らは脱出に向けて迷路を走る。迷路の出口に待ち受けているものはレディと呼ばれるロボットやツインヘッドと呼ばれる殺戮機械である。脱出を目前にして捕まる者、戦う者、そして逃げ切る者……。しかし逃げ切れた者にも第二、第三の関門が待ち受けている。自分の生命と人間としての尊厳を賭けて彼らは走る。生き残った者は誰か。してその人物に課せられた使命とは……。
本書は人間を極限状態に置くことによって、「人間の尊厳」の根本的なものを浮き彫りにしようという作品であるように思う。人間を敢えてゲームの駒として描くことにより、たとえゲームの駒のように扱われていても人間は人間だという主張が伝わってくる。逆に、肥大化した権力者が失ってしまった「人間性」も示されている。
ゲーム的な小説は多々ある。それは物語の枠組みがゲーム的なもので、登場人物は結局はゲームの部品に過ぎない。しかしそれを糊塗するかのように、妙に説教臭い発言を主人公にさせて、これはゲームではなく小説だという主張をする。本書はその逆である。登場人物が盤の上でサバイバルゲームをさせられている駒であるということを前面に押し出しながら、そのゲームプレイヤーの存在を明らかにすることにより、実はゲーム的なるものから最も遠い小説であるということを示しているのだ。
(2001年10月30日読了)