東京、渋谷の「五島プラネタリウム」の解説員である「私」は、プラネタリウムが閉館した後に、不思議な少年に出会う。その少年は「カール・ツァイスIV型プラネタリウム投影機」に強い関心を示し、解体直前であった投影機を見せてほしいとせがむ。「私」がその少年に投影機について説明していると、彼は「私」をタイムトラベルに連れていくような発言をする。して、その言葉通りに「私」は戦時中の東京にタイムトラベルしてしまう。ただし、転移したのは意識だけで、体はその時代に生きる医師のものだったが。「私」は空襲でなくなる前の「毎日プラネタリウム」に行き、そこで女性の新聞記者に貴重な資料が空襲で失われることを説く。続いては終戦直後の靴磨きの少年の体に転移し、死の直前の織田作之助に会う。現代の東京に戻ってきた「私」が知った全ての真相とは……。
本書は大人のメルヘンである。いや、少年の心を残した大人の、というべきか。ここで語られるのは人が持つ「思い」の大切さであり、自分の愛するものに全てを注ぎこんできた人間のロマンティシズムである。また、プラネタリウムそのものへの賛美でもある。デジタル化が進んだ時代に、プラネタリウムというアナログ的な光学機械がつむぎ出す時代を超えた夢を小説として描き出したものだといえる。
他人の体に意識が出入りする仕組みはあえてここでは説かれていない。ただ、意識が相手の体から出てしまった後、自分という人間がその体に転移していたときの痕跡は残るとしている点に面白さを感じた。作者は「人が生きて残すものは何か」というテーマに一つの解答を与えているのだ。ただ、ここでの解答については、私はいささか楽観的であるようにも思うし、人生というものはもう少し苦みが残るものなのではないかとも思う。
作者の本質はロマンティストなのであるということを強く認識させてくれる一冊。作者もまた「少年の心を残した大人」の一人なのである。
(2001年11月4日読了)