年老いた考古学者が遺跡から解放した悪魔、それはベルゼブブ。昆虫学者の両親と死別した少女、添川瀬美は恋人で人気グループの一員であるショウという恋人がいるにもかかわらず、〈宙馬〉となのる者とセックスする淫夢を見る。そしてその淫夢の相手との間に子どもまでできてしまう。堕胎しようとしても胎内に宿る子どもはそれを拒否する。一方、彼女の親友の従姉妹である赤ん坊が突如怪物に変化しその両親を惨殺したり、子どものアイドルである動物園のチンパンジーが子どもたちを襲い始めたり、遊園地でのヒーローアトラクションで着ぐるみにはいっている役者が子どもを殺したり……と異常な大量殺人が次々と起こる。隠れキリシタンの末裔、メンチョロー太子となのる浮浪者が瀬美とショウの前に現れ、殺人事件が予言されている黙示録を見せる。彼の言葉によると、悪魔が蘇り人間が滅びてしまうという。それを阻止する救世主は瀬美のおなかの子どもなのだというのだ。蘇った悪魔ベルゼブブの真の姿とは。そして滅びゆく人類に対して瀬美の果たす役割とは……。
キリスト教の〈神〉というものについて、ホラーという方法を用いてその概念に真っ向から挑んだ力作である。そのグロテスクなイメージにはただただ圧倒されるのみ。人間がほんとうに万物の霊長であるのか、それに対する作者なりの解答であるのかもしれない。昆虫の叛乱というアイデアは、手塚治虫『ミクロイドS』を想起させるが、そこに伝奇的な要素を加味したところに独創性がある。隠れキリシタンの描写には、諸星大二郎『妖怪ハンター』の影響も見られるけれど、ハルマゲドンにまでつなげているところにテーマの発展性を感じる。
一般的に想像される〈最後の審判〉には宗教のエゴイズムという問題が必ずついてまわるもので、本書もまたそこらあたりはちゃんとおさえているのだが、それを越えた壮大なカタストロフィが待ち受けている。
私としてはエピローグにやや不満は残るが、陰惨なまま終わるのではなく救いをもたせているということなのかもしれない。ここらあたりは好き嫌いの問題でしょう。読み手にいろいろと創造させる面白いエピローグ、かもしれない。
とにかく読み手を必ずぞくりとさせる傑作である。田中啓文の真骨頂が本書にはあるのだ。
(2001年11月23日読了)