臓器移植のため、脳死状態の人間を生存したままにするという措置を施している〈慈悲死協会〉の関係する病院では、脳死判定を確実にするために〈意識共鳴スペクトローラー〉という装置を患者に装着している。この装置は、脳死患者に意識が残っているかどうかで脳死状態にあるのかまだ生きているといえるのかを判定するのである。しかし、3人の男女だけはこの装置を使っても脳死判定が不可能であった。3人はそれぞれが自分の意識の中でさまざまな体験をしながら、脳死判定に対して戦いを続ける。
登場人物の識域下での夢(?)の中でのできごとと、現実でのできごとが入り乱れるような形で、いくつかのエピソードを積み重ねながら、人間の〈死〉というものの意味を問いかける。時には官能的に、時には幻想的に、それらの物語は語られる。そして浮き彫りになっていくのは、人間が生きていく上での〈意識〉というものの意味であり、人間の生き死にを人間自身が判定できるのかどうかという問いかけである。
この大きく重いテーマが、SFという形であざやかに描き出されている。読後、生きること、そして死ぬことの意味を深く考えてしまった。人はなぜ生きるのか、なぜ死ぬのか。こういった根源的なテーマを描くのは、やはりSFしかないのではないだろうか。そして、その深いテーマを描ききれる力量のある作家はそう多くはないように思う。
山田正紀以外に描き得ない世界が、ここにはある。
(2002年1月4日読了)