江夏豊という投手がいた。阪神タイガースというサムライ集団で、V9時代の讀賣ジャイアンツ相手に真っ向から勝負をし、三振の山を築いた。満身創痍になり、石もて追われるように南海ホークスにトレードされリリーフ投手として生まれ変わり、広島東洋カープや日本ハムファイターズでは「優勝請負人」の異名をとった。しかし、彼はタイガース時代は「江夏がいると優勝できない」とまで言われたこともあったのである。本書は、江夏本人と、その周辺の人間たちの証言を集めてタイガース時代の江夏に焦点をあて、その活躍と背景となった時代をシンクロさせる試みである。また、著者自身の青春もからませている。
江夏という野球人の伝記としては川上健一の「サウスポー魂」という傑作がある。そちらはカープ時代までを描き、ドキュメンタリーとインタビューを交互にいれた構成で、江夏個人に迫ることによりその人間性を浮き彫りにしていた。
それに対し、本書は外堀から攻めるという感じである。彼の投球を受けた捕手、ダンプ辻や田淵。彼のバックで守った遠井、藤井、川藤、野田、藤田、池田。彼と対戦した打者の王、土井、黒江、門田。好敵手であった堀内。彼がもっとも苦手とした大洋ホエールズの控え打者、林とその取材相手の証言には彼らでしか語れない江夏豊の人間性がさまざまな角度からあきらかにされていく。そういう意味では本書は野球史の一ページを飾る貴重な証言集だといえるだろう。
ただ、著者がねらった同時代史としての側面が十分に生かされていないという感じがした。思うに、安保闘争に万国博、高度経済成長時代とは少しずれたところに江夏という男の存在意義があったのではないかと思う。同時代史の部分が浮いてしまっているのが残念なところだ。
しかし、江夏の一方的な視点で語られることが多かった彼の野球人生をバランスのとれた視点で洗い直しているという意味では、本書は貴重である。これにより、プロ野球という世界の新たな魅力を発見できることができるのではないだろうか。
(2002年2月15日読了)