私は美術館の帰りに何者かに襲われ、植物人間のように動けなくなっている。しかし、はっきりした意識はあって、看護婦や医者の会話は聞こえているのだ。そして、なによりも不思議なことに、私の顔から飛び出した左眼は私の体を離れてもそこにあるものを写し出し、私に見せているのである。私の左眼が目撃した犯人は赤い靴下をはいた男。左眼の視界に見えかくれする彼の姿と、そしてそれを追うもう一人の男。私の左目は、赤ん坊、猫、烏などによってあちこちに運ばれていくのだが、どうやら私を襲った犯人を追い続けているらしい。赤い靴下の男はなぜ私を襲ったのか。そして、私は再び左眼を取り戻し、もとのように動くことができるようになるのだろうか。真相を追って、眼球の旅が続く。
眼球の視界と病室での会話だけで物語が進行するという構成が面白い。ふだんの私たちの視点をずらしただけで、これだけ物事が違って見えるのだという実験を物語として成立させているのである。そこに加えて暴行事件の真相探しというミステリ的な要素が展開する。これを最後まで徹底していけば、実にユニークな傑作になったと思う。
ただ残念ながら、真相の部分が弱い。種明かしをしたくないのであまりくわしくは書けないが、真相解明というにはいささか説得力を欠いているように感じたのである。それならば、いっそのこと真相は読み手の判断にゆだねてただひたすら左眼が見聞したものをもとに主人公が推論を進めていくという形で最後まで物語を進めていってもよかったのでは、と思う。単純なミステリならば、謎解きは必要かもしれないが、本書の場合はミステリ的な興味で物語を進めてはいるものの、面白さの本質は飛び出した眼球の視界や体は動かせないのに意識のある男のジレンマなどにあるのだと思うから。
とにかく、視点のずれが現実の世界を異世界に見せるというあたりがSFの醍醐味といえる。そのアイデアだけでも十分読ませる作品なのである。
(2002年3月15日読了)