読書感想文


人間はなぜ非人間的になれるのか
塚原史著
ちくま新書
2000年10月20日第1刷
定価680円

 著者が「人間」という言葉を用いて示している概念は、西洋近代文明が生み出した、普遍的な存在としての「人間」である。そして、それは自己を確立した「個人」でもある。これに対し、「非人間的」というのは、「全体」の中で自分の意志を持たずどんな残虐な行為でもしてしまうことのできるもの、また全てのものを「無意味」にしてしまう思考や行為、「未開」に代表される近代的な「人間」の概念から離れたもの、そして、「人間」の行動を意味付ける「理性」から離れた「無意識」という感覚を指す。
 著者は、「全体」を群集心理やナチズムなどを例にとって解読する。「無意味」はダダイズムの歴史をたどることにより解き明かされ、「未開」はピカソから岡本太郎にいたるキュビズム美術の分析からその内容を導き出され、「無意識」はシュルレアリスムの発生によって提示される。そしてこれらが世界の記号化と現実の消滅という現代の抱える問題点に結びつけられていく。
 著者はここでは今後の展望はあえて示さない。近代の生み出した「人間」という概念が2つの大戦を通じて崩壊し「非人間的」な存在に変貌していくさまを綴るのみである。結論は読者にまかせようという意志が感じとられる。
 しかし、ここで提示される「非人間的」という概念は、雑多なものであり近代の生み出した「人間」の概念に対立するものを全て書き並べたというだけに終わってしまっているように思う。「無意味」が「全体」にからめとられるあたりはまだその概念を統合しようとしているが、「未開」と「無意識」については未整理なままである。これでは、読者がどのような結論を下し今後どのように「人間」性を回復していけばよいのかということを考える材料にまでなりきっていないというのが私の感触である。
 さらに、著者は近代的な「人間」の概念をどうやら肯定しているらしいのだが、その肯定の根拠もあいまいなまま「非人間的」なものの説明に進んでいるので、近代的「人間」という概念について考えるにはいささか不十分であると思う。終章でA・C・クラークの「幼年期の終り」が論じられるのも唐突である。
 本書はそういう意味では著者の覚え書きという位置づけを脱し得ていないのではないだろうか。今後もっと整理された形でこの問題に関する著書は書かれなければならないだろうと思う。その時は、おそらく著者は結論を読者にゆだねるようなことはせず、しっかりとしたものを打ち出すに違いない。それを待ちたいところである。

(2002年4月7日読了)


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