著者は民主主義という考え方が、第一次世界大戦の戦勝国が自己を正当化するために作り出した虚構だと主張する。そして、その源流をギリシャ民主政に求め、それが当時の僭主制を回避するために作られた被支配者の防御装置でしかなかったことを例示する。民主主義は暴走しやすく、ナチズムなども民主主義の結果としてもたらされたものだと提示する。
さらに、人権という考え方が、ホッブズやルソーらの考えた社会契約説に基づいたものではなく、ロックがホッブズの論考をねじ曲げて人権を保証するということが悪玉としての「権力者」を作り上げ攻撃するために用いた詭弁の産物だと解明していく。
著者は最後になぜか聖徳大使の十七条憲法を引用し、そこに書かれていることを土台にして、民主主義をこえる理性的なシステムを確立し欺瞞に満ちた人権という呪縛からの解放を主張する。
一読すると、それなりに説得力もあり著者の主張に正当性があるように感じられる。が、例えば唐突に十七条憲法を持ち出してきた時に、著者の王権を基礎とした統治(立憲君主制)に立ち返るべきだという復古思想を読み取ることができた。さらにやはり短兵急に共産主義に対する批判が登場する。その視点から読み直すと、著者の民主主義批判にかなり恣意的なところがあるということがはっきりしてきた。
私が思うに、民主主義も人権も、現代の社会生活を円滑に進めていくための装置である。そして、それを効果的に使用すればそれがもともと持っていた欠陥を克服できると考える。例えば軍事利用のために発明されたものの技術が平時に使用するものを発展させたように、出自に問題はあってもそれを工夫して使用すればよいのである。
理性を強調する本書が、復古的な思想や戦後民主主義の欠点を基盤として論をすすめるうちにだんだん理性的でなくなっていく。皮肉にも、それこそが著者の主張を証明づけているとはいえまいか。
民主主義や人権を考える上で、我々に刺激を与えるユニークな論考である。こういった一石が投じられたことで民主主義の有効な運用の仕方について再考する機会が与えられる。それはそ本書の価値はあるといえるだろう。
(2002年4月11日読了)