日本とフランスがそれぞれ国民国家となった「明治維新」と「フランス革命」を比較し、国家の成り立ちやあり方を考察、「愛国心」について著者の持論を述べた一冊。
著者のいう「愛国心」は「郷土愛」を基盤においたものだ。そこから同一の言語(標準語)を使用し、文化的背景を同じくする「国民」をもつ「国家」への愛着というものを想定し、それを「愛国心」と規定する。
この考察に特に異論はない。しかし、日の丸や君が代というものをいたずらに拒否するのではなく、明治政府という現在の国家の出発点をきっちりと評価し、現在の憲法に書かれている象徴としての天皇を敬愛すべきだと著者は説くのにはやはり抵抗を感じる。戦後の民主教育が戦時中の過度の愛国教育に反発したものだという論はもっともだと思うし、戦後民主主義というものを冷静に見つめ直すべきだという著者の論には首肯できるのに、だ。
なぜだろうと考えてみる。そして、思い当たるのは、著者はおそらく意識的にしているのだろうが、「制度」としての「天皇」と「伝統」としての「天皇」を分けていないのである。武士に寄る支配によって「天皇」が制度に組みこまれていったことが日本という国のある主特別な歴史を形成してきたといえるのだが、その点をうまくぼかして論じているのである。
支配者がかわると、国家における社会道徳はその支配者の身分がもっていたものに相応していくという指摘など、随所に著者ならではの鋭い分析があるだけに、こういったぼかし方は「愛国心」の肯定という結論がまずあって、それにあてはめるように論じるという形で本書が書かれているからなのだろう。
そういう意味では、刺激的であり、また自分なりに「愛国心」や「国家」、「元首」などを考え直すいい材料となる一冊だと思う。ちなみに私は「愛国心」はその国に根づいた文化や風土を基盤にすべきものだと考えている。そして、人為的な「国家」が要求する「愛国心」には一定の警戒を抱くべきだと思う。関西と関東の風土の違いを無視して「国家」に対する中世を誓うことは、私にはとうていできないのだ。
(2002年4月20日読了)