本書は、工業生産の歴史を〈標準〉というもの変化をたどることによって明らかにしていく試みである。〈標準〉の発想が、フランス革命や独立戦争の過程で、戦場で武器を効率良く修理するために生まれてきたこと。当初は〈標準〉化された部品を生産する方が一つずつ手作りで武器を生産するよりも効率が悪かったこと。工作機械の発達により、大量生産が可能になったこと。大量生産は戦時には向いているが平時には多様な消費者のニーズに対応できないこと。製品の〈標準〉化から労働の〈標準〉化へと考え方も変わってきたこと。世界標準という発想は政府と産業界がそれぞれのニーズを満たすために作り上げてきたこと。〈標準〉となるものは必ずしも効率優先ではなく、タイプライターのキーやインターネットのTCP/IPのように先に世界的に普及したものがなる場合も多いこと(これを「デファクト・スタンダード」という)。「デファクト・スタンダード」は個性というものや地域性というものを無視してしまう傾向があるので、それについては十分考慮する必要があること。
私は技術系のことにはうとく、また発想も技術系の考え方とは違うので、本書は実に刺激的で新鮮であった。特に「デファクト・スタンダード」というものに関しては互換性の便利さが優先されるという点は、これまで知らなかったことだけに実に興味深かった。つまり、〈標準〉にそったものを使用することは互換性の上からは非常に便利であるが、必ずしもそれが効率的であるとは限らないということなのだ。消費者の視点から見れば、「デファクト・スタンダード」にしばりつけられることなく有効に利用することを考えるべきだということだろう。
ユニークな視点からとらえられた歴史研究書として面白く読めた。ただ、表題の「哲学」は、内容とそぐわないから、ここは「〈標準〉とはなにか」あたりでとどめておくべきではなかったかと思う。
(2002年5月4日読了)