京都で酔っぱらって終電を逃し、大阪までタクシーで帰るのはもったいないと思い宿を探したが時間的にどこにもチェックインできず、やむなくラブホテルに宿泊したことがある。これほど居心地の悪いことはない。なぜならばラブホテルという場所は男女がセックスをする空間として作られたものであり、男性が一人で夜露をしのぐ場所ではないからである。
本書は、その時の私の居心地の悪さがどこからくるものかを、ラブホテルという空間の構造、歴史、そしてその空間が作り出す性愛の形などを探ることによってみごとに言い当ててくれる。
かつて待合、モーテル、アベックホテルなどと呼ばれていた後ろめたさをともなった空間が、ラブホテルに変容する中でどのようなイメージを展開してきたかが、本書では実にわかりやすく書かれている。そして、ラブホテルという記号が作り出した性愛の形は、もっぱらへテロセクシャルを対象にしたもので、そこがイメージさせない性愛の形は排除されてしまう。画一的なイメージで作られたラブホテルという空間は性愛の形までも均一化してしまうのである。
本書は、ラブホテルを対象にしながらも、そこから出発して枠にとらわれない性愛の形を喚起しようとする啓発の書である。その記号にこめられたものの影響は限り無く大きく、そして深刻であることを著者は訴えているのだ。ユニークな性愛論として考えさせられるところの多い一冊である。
(2002年6月11日読了)