寄席芸人、特に色物といわれる諸芸の芸人や裏方にスポットを当て、演芸界の哀感を情緒豊かに描きあげた短編集。
表題作「本牧亭の鳶」は、講談の定席である本牧亭に実在した下足番の老人と作者が作り出した若い講釈師の交流を描きながらかつての勢いを失った講談という芸への哀切がにじみ出てくる。「梟の男」はコント〈ナンセンストリオ〉の前田隣の半生をスケッチ風に綴る。声帯模写の芸人がテレビの歌まね芸に背を向けるようにしか生きられない様子を描く「九官鳥」。芸は一流だが人間性は最悪の男とコンビを組んでいた芸人が選んだ新しい相方との交流が語られる「借金鳥」。百面相という珍芸を貫き通した芸人が引退を決心して臨んだ舞台がユーモラスに書かれた「カラスの死に場」。以上三編はモデルとなる芸人がいてそこに作者流の味つけを施したもの。「老鶯」はお囃子の三味線方の女性を主人公にして裏方なしには成立しない寄席の世界というものを描く。
寄席の空気というものが伝わってくる佳作ばかりで、特に表題作は作者の講釈場への思いが切々と伝わってくる力作である。
ただ、惜しむらくはどの短編からも芸人もついい意味でのしたたかさが伝わってこない。どの芸人も妙に善人なのだ。いや、芸人が悪人だというわけではない。芸人という存在が発するどうしようもない匂いというものが本書の登場人物からは匂ってこないのだ。私自身、たまに芸人さんと同席して話を聞かせてもらう機会があるが、どの方も堅気の人間にはない濃い部分がある。アクの強さがある。それてなければあの世界では生きていかれないのだと思う。
作者自身、そういったアクの強い世界にどっぷりとつかり過ぎていて、それがあたりまえになってしまっているのかもしれない。芸人の持つ狂気とでもいうべき濃さがほしかったというのは、贅沢なのだろうか。ちょっと出来過ぎの人情話ばかりなのがいささか食い足りなかった。
(2002年6月15日読了)