例えば、この世界は多数の人間による共同幻想から成り立っているのだという説がある。あるいは、人間の内面的理性が絶対的な善の意志に働きかけるのだという説もある。
本書は、そのような命題を小説という形で表現する試みといっていいだろう。
ある日、住所も宛名ものないのに、それでも自分あてのものだとわかってしまう手紙。それは「民衆独裁」を実現するために行うべき指令が書かれた手紙なのだ。その方法は自分が「民衆細胞」であれば自然にわかるものなのである。その手紙により、多くの者たちが「民衆細胞」として行動を始める。実は、その指令を出しているのは、目立たない容貌の主婦不由子であった。
不由子の夫である「私」は、指令の手紙を出す妻に対してそれがどのような意味を持つのかを、深く考えようとはしない。なぜなら彼にとって大切なのは、妻との関係が崩壊しないことなのであるから。
一人の女性の妄想から生じた世界が、多数の人間の意志となって現実のものと化していく恐ろしさ。そして、共通であるべき意志がその意志を持たぬものに対し排他的な形で現れてくる。さらに一つの秩序が崩壊し新たに生まれた秩序がさらに崩壊していくその繰り返し。
作者は、人間というものの本質を最終的に信じているのだろう。ここで描かれる人間社会の崩壊は、決して悪夢ではない。秩序を維持しようとする者も覆そうとするものも、そして最初に幻想を抱いた女性でさえ、無力で、弱い存在なのだ。そして、作者はその弱さを突き放すことなく淡々とした筆致で描写していく。
本書は、人間と社会の関係を物語という形式で問いかける問題作である。その細かな描写の積み重ねから形作られる独特な雰囲気は、佐藤哲也作品だけのものなのだ。
(2002年6月15日読了)
(本稿はネット書店サイト「bk1」に掲載されたものをそのまま使用しております)