小型ブラックホール、カーリーが発見され、そしてそれが太陽に衝突することが明らかになる。太陽系に住む人々は、カーリーの軌道を改変しそれを新たなエネルギー源として利用するプロジェクトを立てた。地球を離れて活動する人々と、地球に居住する人々との間には意識の差が生まれ、やがては対立するようになる。宇宙に入植した人々の組織AADDでは、カーリーを調査すると同時に地球外生命体の可能性を探る科学者が現れ、それがまた新たな計画につながっていく。それをよしとしない地球人は、プロジェクトの中心人物への暗殺者を次々と送りこむ。しかし、それら暗殺者もまたAADDに繰りこまれ、次の世代を育成する要員の一人とさえなっていく。やがて、カーリーの中に生命体が存在するという可能性が発見され、計画は新たな段階に移行しようとしていた。
本書は、ここに書いたあらすじでもわかるように、宇宙を舞台にしたハードSFである。科学的な可能性を十分に考証し、人類が宇宙に託すものを描き出す。
しかし、本書はそれだけにはとどまらない。宇宙開発や研究の過程における極めて人間的な問題が次々と発生し、登場人物たちは知恵の限りをつくし、また理性と感情の相克に悩まされながら、新たなステップに踏み出していく。
本書はブラックホール・カーリーをめぐる短編をオムニバス的につなぎ、最後に全体像を明らかにしていくという構成をとっている。そこにはミステリ仕立ての作品もあれば、冒険小説風のエピソードもある。主役はあくまで人間と、そして彼らが作り出す組織なのだ。そして、その組織に対する鋭い考察は、長年架空戦記というジャンルで組織と戦争について物語を書き続けてきた作者ならではの透徹した視点に支えられているのだ。
宇宙に進出した人間のメンタリティの変化を年代記風に描くことにより、作者は独自の文明論を展開している。この姿勢は、ハードSFの大家アーサー・C・クラークを想起させる。むろん、ここでの結論は作者独自のものではある。
そういう意味では、本書は日本作家でしかなしえない宇宙SFの世界を確立しつつあるといえるし、本書はそういった作者のいわば一里塚とでも称したい一冊なのだ。
スタンダードに進められたかと思うと、異端としかいいようのないひねりが加えられたりもする。その振幅の具合に尽きせぬ魅力を感じるのである。
(2002年7月18日読了)