読書感想文


神とゴッドはどう違うか
鹿嶋春平太著
新潮選書
1997年2月25日第1刷
定価1100円

 著者は宗教社会学者という肩書きである。そのような学問があるとは浅学にして知らなかったが、略歴をみると著作として聖書の読解に関するものが挙げられているので、キリスト教を土台にして社会を分析するような学問であろうか。
 本書の目のつけどころは面白かった。キリスト教が日本にもたらされた時、ゴッドの訳として「神」という言葉をあてたがためにキリスト教の教義が曲解されたというものなのである。著者はゴッドの訳は創造主とすべきであったと主張する。そうすれば、聖書におけるゴッドの概念が正しく日本に広がったと説く。
 そこで、著者は日本の「神」とキリスト教の創造主を比較検討するのだが、残念ながら著者の神道の理解はそれほど深くないようで、司馬遼太郎のエッセイの引用などにとどまり、本質的なところをついてこない。また、仏教についても簡単に触れるだけなので、なぜ日本にキリスト教が根づかなかったかというところの理由が説得力を持たない。
 著者は三島由紀夫や中村天風、船井幸雄といった人々の思想を例に彼らが望んでいるものがキリスト教の教義には全て含まれているということを検証する。それは創造主を「神」と訳したことが与えた影響だということなのだろう。
 つまり、本書の主眼目はキリスト教の教義の説明にあり、三島由紀夫たちはそのための材料に過ぎないのである。確かに著者はキリスト教については専門家なのだろうから、そういった解読については興味深くもある。しかし、本書のタイトルにひかれて購入した者としては、もっともっと神道や仏教に関する理解を深めてから論じてほしいと思うのだ。さらに、江戸時代から深く日本人に根づいている儒学に一切触れていないのも気になるところだ。
 さらに、とにかく創造主という者がいるということを前提に全てを考えなければならないという主張も、いささか強引であるように思われる。仏教の影響を強く受けていたり、哲学の入門書を読みあさったり、老荘思想にひかれたりしている私にとっては、こういった神学的思想をまるまる受け入れるのにはやはり抵抗があるのだ。
 著者にはおそらく東洋思想は理解しようとしてもできないものなのだろう。それと同様に、本書の論の進め方では私などには結局キリスト教を理解しようと思ってもなにかしら受けつけないものが感じられてしまう。タイトルから期待したものとはかなり違う内容であてが外れたということもあるのかもしれないが。

(2002年8月23日読了)


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