著者はクラシックに対する厳しい批評で知られる文学研究者。チェリビダッケ、ヴァントを至高の存在として、またCDでしか聴かれない演奏家に対しては一切言及しないことを信念として、クラシック音楽について語ってきた。ところが、本書ではフルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、クナッパーツブッシュなど、音楽史上に残る大指揮者の名盤を紹介するガイドブックなのである。もちろん、その切り口は著者らしい理論づけがなされており、類書とは趣を異にする。が、著者がこういう本を書いたということ自体、私にとっては驚きであった。
斜に構えたりおちょくったりしたような書き方を、本書では一切していない。それどころか、しごくまっとうなCDガイドであったりする。しかも、実に説得力がある。やろうと思えば、これくらいのことはできるんだよということを示したかったのだろうか。
答えはあとがきにあった。チェリビダッケ、そしてヴァントの死により、著者はクラシックも死んだと断じているのだ。生演奏で聴くべき指揮者はもういない。チェリビダッケもヴァントもCDで聴き返すしかない。つまり、著者が至高の存在としてきた指揮者は、CDでしか聴かれない過去の「巨匠」たちと同じものになってしまったのである。CDで聴くクラシックという限定つきで語ることを自分に許したのである。
だから、本書は著者がクラシックに捧げるレクイエムなのである。
それでも、本書はクラシックを聴きはじめたばかりの人にも十分配慮した十分なガイドブックである。「本物」を追究しようという著者の姿勢が、真摯に伝わってくるのである。
(2002年10月23日読了)