ロボットには「心」はあるのか。人間がロボットに自分の気持ちを投影しているだけではないのか。妻そっくりに作られたロボットの存在にとまどう作家の姿を描いた「ハル」。子どもをロボットといっしょに育てる実験と、ロボットと会話をした少女時代の思い出からロボットに対する認識を深める研究者の心の動きをとらえた「夏のロボット」。地雷除去ロボットとセンサーをつけた犬、そして地雷のために小さな村落に閉じこめられた少女とロボット開発者の交流をたどる「見護るものたち」。ロボットコンサルタントが少女の持ち子んできた〈捨てロボット〉を修理したことから、ロボットの人間にあたえる感情を深く掘り下げていく「亜希への扉」。『鉄腕アトム』を現実のものにしようと挑む老科学者たちのロボットに対する思いを描く「アトムの子」。これらの短編をつなぐブリッジとして人間が死滅した世界でロボットの少年が伝説の『テツワンアトム』を探し求める「WASTELAND」がはさみこまれる。
ロボットの進化を描いた連作短編集というと、アイザック・アシモフの『われはロボット』がすぐに思い出されるが、本書の場合は最先端のロボット技術から連想されるロボットの未来と、かつて手塚治虫が描き出したロボットの未来を対比させるという点で、未来史の年代記とはいささか趣が違うものとなっている。
SFが描いてきた未来への可能性と、それをなぞりつつも違う方向に行こうとしている現実の可能性を対比し、そのずれをとらえながら、ロボットというものを通じて人間が向かうべき方向を考えた作品集、といっていいだろう。だから、本書は手塚治虫に対するノスタルジーから書かれたものではない。手塚治虫の描いたロボットいうものを検証し、批判を加えつつ継承していくものと見たい。各短編のタイトルが過去の名作SFのタイトルのもじりとなっているのもそういった意味あいを含んでいる証左であろう。
帯には「せつない未来」と書かれていたが、そうではない。せつないのは未来ではなく、未来に夢を見る現代人なのだ。未来に対する期待と失望、そして、新たな希望。それが本書のテーマなのではないだろうか。その題材としてロボットが選ばれたのは、極めて未来的なこの存在の本質を考えると、必然的であったと感じられるのである。
収録作品の中では「ハル」が最も秀逸。うまさを感じさせるのは「亜希への扉」か。「アトムの子」の輝かしい未来に対する失望感には共感するところ大である。
(2002年10月27日読了)