愛器十六夜を手に、三宝荒神を呼び出して、精霊や神霊と語ることのできる地神盲僧、清玄。彼は1000年の歳月を生き、現代では人の信心を受けなくなった狛犬を救い、太平洋戦争開戦直前には、鹿鳴館の残骸に住む鼠を蓬莱に送る。明治のはじめには兎とともに古き暦の消えるのを惜しみ、江戸時代のはじめには龍を見たいと願う絵師の生き霊に真の龍を見せる。南北朝の時代には落ち武者の具足の願いをかなえ、平安朝の開かれた頃には東国でその地を守る狐を救う。
作者が琵琶法師に託したものは、我々が失おうとする、目に見えぬ存在を安寧に導くことである。清玄の琵琶の音は土地神を動かし、大地を守る。哀切なる音色とともに、それははかなく消えていくのだろうか。
いや、そうではあるまい。作者がこうやって私たちにその存在を思い出させてくれる限り、消えることはない。
古文調のリズム感のある古風な文体が、心地よい。いつの時代にも、人は自然そのものに対し、何かしら力を加え、その怒りを受けてきた。1000年の時を超える清玄という法師の口を借りて、作者はそれを告発しつつも、その哀れさをも包容する。
清玄の弾く琵琶の音を、一度どこかで聴いてみたくなる、そんな物語である。
(2002年11月1日読了)