クラシックの声楽家である著者だが、CDでは「古関裕而歌曲集」や「古賀政男作品集」を録音、これまで無視されてきた流行歌の音楽的価値を広く知らしめる活動をしてきている。本書は、そんな活動の一環として書かれたものである。
本書では、通説となっている松井須磨子や三浦環などの「伝説」を検証し、伝統的な日本音階とリズムを分析する。そこから中山晋平や本居長世といった作曲家がいかに日本音階とリズムを作曲の際に活用していたかを明らかにしていく。締めくくりは「古賀メロディ」である。ここで古賀政男が幅広く世界中の音楽を学び、それを日本的なものと組み合わせ独自の音楽を作り出してきたことが証明されるのである。
著者は、作曲家の自筆譜にあたる。クラシックではあたりまえの事であっても、流行歌ではそれすらなされていなかった。そのため、歌手たちは自分が歌いやすいように勝手に曲を変えてしまう。著者は古賀政男が自作を自演したレコードを聴き、古賀が自筆譜通りに歌っていることを知って、自分の考えが間違っていないことを確信する。
書名にある「演歌」は、いわゆる「ど演歌」といわれるものではない。古賀政男や中山晋平らが残した優れた「日本歌曲」ともいえる流行歌の事を本書ではさす。著者がすすめる「演歌」は、代わりばえのしない現在の「ど演歌」とは一線を画している。あくまで明治以降の作曲家がオリジナリティを発揮した作品を象徴して「演歌」と呼んでいるのだ。
本書は、日本的なものを無視する形で進められるこの国の音楽シーンに対する抵抗として理解されるべきものなのだ。私は著者のCDはほとんど揃えているが、言葉を大切に、そして心をこめて歌われる「演歌」には、他の声楽家が録音する「日本のうた」とは違うものを感じる。その違いは、つまり「志の高さ」なのではないだろうか。本書を読むと、それが強く実感されるのである。
(2002年11月2日読了)