近年ではグレッグ・イーガンが量子論に基づいた歴史改変理論を打ち立てているが、作者は「高次元多胞体」という独自の概念を創造し、時間を自由に行き来できる男の悲劇を描き出した。
主人公はSF新人賞を受賞したばかりの作家であるが、彼の書いた小説が、戦前にドイツに留学して行方不明となっていた研究者の書いた「時空論」と類似していたことがこの作品の鍵となってくる。主人公を狙う国際的な公安機関や謎の人物たち。物語は一見、サスペンスものと思われる展開をみせる。しかし、作者は一転して戦前のドイツに舞台を移し、留学した研究者が新たな発明をする様子を描き出す。研究者が新たな発明をするたびに時系列は歪み、改変された歴史と改変されなかった歴史が入り交じっていく。
作者はこれまでも日本SFの王道を行く極めてオーソドックスなスタイルの作品を発表し続けてきた。そのテーマの大きさは、第1回小松左京賞受賞作家にふさわしいものであった。ただ、惜しむらくはそのスケールの大きなテーマに対し、なんとか力業でねじ伏せようとするのだがあと一歩というところで力がおよばないという面が見られた。また、作者の性格からかラストの弱さが目につくこともあった。どうしても冷酷になれないのだ。
しかし、本書はこれまでの諸作とは違う。時間SFという難物に対し、力業で押し切ることができているのだ。特に改変された歴史が入り交じるところなど、下手をすると混乱だけしてわけがわからないものになってしまうのだろうが、本書では未整理のまま読者に投げ出しているように見せながら、きちっと締めるところは締めているのだ。
時間というものの面白さは、認識するものの主体性により流れ方が違うというところにあるだろう。つまり、物理的な時間と心理的な時間とは違うものなのだ。量子論による時間SFがその物理的な側面を強調したものというなら、本書の「高次元多胞体」理論は心理的な側面から時間をとらえたものということができる。作者は、人間の時間に対する認知をテーマに、歴史というものを複合的にとらえようと試みた。こういったテーマをこれだけ真正直に描き出そうとするあたりが作者の真骨頂といえる。
日本SFの王道をたどる新たな一歩がここに刻まれたといっても過言ではないだろう。
(2002年11月24日読了)
(本稿はネット書店サイト「bk1」に掲載されたものをそのまま使用しております)