著者は大阪で新作落語を作り続けている落語作家。新作といっても、古典落語の味わいのあるものが多く、特定の話者だけが演じるものではなく東京の落語家も「古典」のように著者の落語を演じている。
そんな作者が、大量に聞いてきた落語の高座から、最近では使われなくなった大阪弁をピックアップし、その言葉が使われた落語や文化的背景を織りまぜながら紹介する。もともとは新聞連載のコラムであったということだが、こうやって1冊にまとまったものを読むと上方文化の奥底が感じられるものになっている。
実際のところ、私は「標準語」は苦手である。文化的背景というものが私のそれと重ならないからなのだ。例えば本書でとりあげられているものでも「ほたえる」「いらち」「ほっこり」などは私も日常で使うけれど、標準語では言い換えがきかない。「騒ぐ」「あわてもの」「疲れ」と類似語はだせるけれど、微妙なニュアンスは伝わらない。そういう意味では、いわゆる「方言」はみなそうで、それをひとくくりに「方言」としてしまう言葉に対するがさつさを「標準語」というものから感じられてしまうのだ。
ここでは、もう私たちが使わなくなったような言葉がたくさん出てくる。落語でしか聞かない言葉も多い。しかし、著者の文章を読んでいると、この言葉は使ってみたいと思わせるものも多い。ただ、使いこなそうというのは大変だろう。我々の日常から失われた文化を背景にしているからだ。
軽く楽しく読める本である。しかし、その背後にある「上方文化」の大きさには圧倒されるのである。ま、そんなきばらんとぼちぼちよんでください。
(2002年12月1日読了)