一昨年死去した古今亭志ん朝に関して著者が折に触れ書いてきたコラムを一冊にまとめ、その父である古今亭志ん生について論じ、さらに志ん朝の兄の金原亭馬生も加えて比較しながら、「江戸前の落語」とはなにかを追究していく。そして、夏目漱石を落語通の観点から分析し、「笑い」の奥深さを探っていく。
本書のポイントは、「江戸前」の一語に尽きるだろう。江戸弁の切れのよい弁舌、「粋」を大切にし「野暮」を恥じる文化。そういったものを体現していた最後の落語家が志ん朝であったと、著者は断じる。この分析からは「落語は人間の業の肯定」という立川談志の文言も、「野暮」であるように感じられてしまう。
何より肝心なことは、著者が志ん朝の死をもって、「江戸落語」の死であるということを本書で暗に示していることである。あとがきで上方落語について少しだけ触れているが、それは、一度死にかけた上方落語が松鶴、米朝らの地味な努力によって復興したが東京もそうなるかどうかはわからないという書き方である。言うまでもなく、東京には上方よりもたくさんの落語家がいる。にもかかわらずこういう書き方をせずにはいられなかったところに、著者の苦衷を感じるのである。
(2003年2月14日読了)